京都タワー

訪れたのは某年11月初旬だった。
秋が終わり冬の入口にさしかかっていたが、それほどの寒さは感じない。
新幹線から降り京都駅前に立って感じたのは随分と変わってしまったと言う思いであった。
中学校の修学旅行以来だから変化があってもおかしくはないが、当時は駅前から寺の色々な部分が見え隠れしていたが今は全く見えない。その代わり、京都タワーがデンと構え大仰に出迎えてくれた。
今回の旅は1泊2日という、せわしない行程なので観光には二日とも定期観光バスを利用した。



京会席


一日目の観光バスは夜のコースである。京の夜景と京会席そして舞妓はんとの一時を楽しむというものである。先ずは小倉山からの夜景、これはどうと言うこともない単なる時間潰しである。そして、小倉山を下り京会席と舞妓はんの待つ料亭「もみじ家」に向かった。料理は先付け、焼き物、煮物、お造り、鍋物など結構賑やかであるがどれもみな上品である。それらを肴に一杯やっているところに舞妓はん達の到着である。



舞妓はん

芸妓衆より初々しい感じがするのは先入観のせいだろうか。
このときの舞妓はんは、この季節を表す銀杏の花簪を差していた。
季節や月で付ける簪の種類や形が決められているそうである。
舞妓はんは我々、観光客の中を立ち回りお酌やカメラに一緒に収まったりと大忙しである。
そして、暫くすると舞台に二人の舞妓はんが上がり京舞の披露となるのだが、この一コマは“旅先点描”に詳しいので、そちらを見て頂ければと思う。



金閣寺

二日目は前日にも増して良い天気である。
旅先で天気が良いと気分も何となく高揚するが、ここ京都の紅葉はまだのようだ。
この日も定期観光バスに乗車する。
この日のバスは京都の代表的、定番中の定番の寺社を網羅している。
中学の修学旅行の時は只々退屈だった寺社に詣でようと言う気になったのも年のせいかも知れぬ。
それはさておき、先ず訪れたのは「金閣寺」である。金箔の補修も完成し本当に眩いばかりである。
煌びやかではあるが決して下品ではないのは流石である。これで紅葉が合わされば燃える秋に一層の彩りが映え言うこと無しである。
この思いは、この後の行く先々の社寺でもつくづく感じたものであるが自然には逆らえない。



平安神宮・知恩院

次ぎに向かったのは「平安神宮」である。朱塗りの柱に荘厳な甍を頂く独特の佇まいと壮大さに圧倒される。ここは最初に訪れた金閣寺よりも修学旅行生が目に付く。朱柱と黒い詰め襟服が対照的なのかしらん。お次は「知恩院」に廻った。ここは二層構造の山門が見事である。二層式の山門自体はそれほど珍しい造りではないと思うが、その中でも抜きん出て豪壮かつ優美である。最前の平安神宮とは全く趣を変え、こちらは墨絵の濃淡を凝らした感がある。それでいて墨絵の濃淡以外の色を感じさせるのは幾星霜から醸し出される何かなのだろうか。



清水寺

そして最後に訪れたのは定番中の定番のそのまた定番の「清水寺」である。ここは凄かった。
清水寺へ向かう人、帰って来る人、土産物屋を覗き込む人、行きつ戻りつしている人と様々で山門へ向かう細い道は人人人で溢れていた。そして清水の舞台、ここも詰め襟とセーラー服のカラス軍団が犇めき写真を撮り合い、清水の舞台の何たるかを声高に話している。自分も修学旅行生の時はこうだったのかも知れないが今は旅行生の傍に居るだけでグッタリである。ろくに舞台下を覗くことも叶わなかった。



この、京都旅行では二日目の行く先々で修学旅行と遭遇した。
自分の頃もそうだったが14〜5歳の子供に神社仏閣の面白さや楽しさ、良さを理解せよと言う方が無理である。歴史を勉強しているから名前ぐらいは知っていても子供達の目から見ればみんな同じ寺であり神社でしかない。社寺の面白さが分かるのは、やはり歳を重ねそして自らが行きたいと思って初めて経験できる妙であろう。
それと今回の旅の収穫は観光バスのガイドと運転士に恵まれたことである。二人とも女性であった。ガイド嬢の説明は無駄が無く、かと言って冗漫でもなく歯切れ良く乗客を飽きさせない。そして女性運転士は安全に十分に気配り目配りをし無理無駄のない運転で乗客に不安感を抱かせない。プロだから当然と言えば当然だがこれが出来る運転士、ガイドが中々いないのが現状である。
京都市交通局のこのご両人がまだ活躍されているのならまた定期観光バスに乗ってみたい。
但し、修学旅行生の少ない時季に。



写真と文章:Roshi